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スクロールでめくる
わたしはわたしの記憶でできている。
他の誰のものでもない、わたしに刻まれた記憶。
我が子が生まれた瞬間、好きな人の笑顔、夏の匂い、親友の口癖。
昨日の晩御飯も、今朝の日差しの温かさも。
ぜんぶ忘れたくなんてない。
でも、もし大切な記憶が知らず知らずのうちになくなっていってしまうとしたら...?
忘れたくないことを、忘れてしまわないように。
森永乳業は「記憶対策」に力を入れていきます。
今日も、世界から記憶がひとつでも失われませんように。
わたしはわたしの記憶でできている。
他の誰のものでもない、
わたしに刻まれた記憶。
我が子が生まれた瞬間、好きな人の笑顔、
夏の匂い、親友の口癖。
昨日の晩御飯も、今朝の日差しの温かさも。
ぜんぶ忘れたくなんてない。
でも、もし大切な記憶が知らず知らずのうちに
なくなっていってしまうとしたら...?
忘れたくないことを、忘れてしまわないように。
森永乳業は「記憶対策」に力を入れていきます。
今日も、世界から記憶がひとつでも
失われませんように。
他の誰のものでもない、
わたしに刻まれた記憶。
我が子が生まれた瞬間、好きな人の笑顔、
夏の匂い、親友の口癖。
昨日の晩御飯も、今朝の日差しの温かさも。
ぜんぶ忘れたくなんてない。
でも、もし大切な記憶が知らず知らずのうちに
なくなっていってしまうとしたら...?
忘れたくないことを、忘れてしまわないように。
森永乳業は「記憶対策」に力を入れていきます。
今日も、世界から記憶がひとつでも
失われませんように。
Essay
前田エマの
スクロールして読む
先日、蕎麦屋でざる蕎麦を食べているときに、ふと思った。
いつから私は、こうやってざる蕎麦を食べるようになったのだろう。
始まりがいつなのかはおぼろげだが、確実に言えることがひとつある。
それは今、私の目の前で蕎麦を啜っているこの人が、私のざる蕎麦の食べ方を変えたのだということだ。
今から10年以上前、初めて一緒に蕎麦屋へ行った。
蕎麦豆腐やおひたし、だし巻き卵など酒の肴を楽しんだ後、〆にざる蕎麦を頼んだ。
私はいつものように、まずはそのままつゆにつけて食べ、その後、大根おろしをちょこんとのせたり、刻みねぎを入れたりと、味に変化をつけた。
麺が半分ほど食べ終わったところで、つゆにわさびを溶き、鼻にピリッとくるのを「くう〜っ」と面白がっていると、こんなことを言われた。
「全部、わさびの味になっちゃうじゃん」
この人の食べ方を観察してみると、麺にちょこちょこわさびをつけて、それをサッとつゆにくぐらせて、口へと運んでいる。
初めて見る食べ方だ。
「その食べ方だと、わさびが均一にならなくて、辛いところと辛くないところとが、まだらになる」と私が言うと「それがいいんでしょ」と言うのだ。
「つゆにわさびの味がつかないし、いろんな味を行ったり来たりできるじゃない」と。
その後数年間は蕎麦屋に行くたびに、この人の食べ方を不思議に眺めていたのだが、いつの間にか私も同じようにざる蕎麦を食べるようになっていた。
この食べ方のいいところは、つゆを蕎麦湯で割って飲むときに、つゆ本来の味も味わえるところだ。
思い返してみると、私の食べ方や味の好みは、母と似ている部分が多い。
それは、そうだと思う。
生まれて初めて口に含んだであろう母乳だって、母の身体から出ているのだから、母の嗜好がほんのり風味として混ざっていたっておかしくないだろうし、離乳食だって母が作っていたのだし、大きくなるまでの日々の食事だってそうだった。
そしてたいていいつも目の前に母がいて、箸の持ち方なんかをいろいろと注意されながら、それでもたのしい食事の時間を過ごしてきた。
母は働いていたので、私はたまに友人の家に預かってもらっていた。
そこで友人家族と一緒に夕飯を食べ、知らない料理と出会ったり、母が作る味との違いに違和感を覚えたりもした。
食事の仕方で怒られたこともあった。
通っていた保育園では焼き魚の食べ方を徹底的に叩き込まれたので、私は今でも魚の骨をきれいに取ることができる。
しかし、こういったことのすべてが幼い頃に学んだことだとは思わないのだ。
例えば、私は食べ終わった後の皿の上が、家族の中でいちばんきれいなのだが、これは大人になってから様々な人と食事をしたり、飲食店でアルバイトをするなかで、自然とできるようになっていったことだ。
私はこうやって少しづつ、いろいろな人と時間を積み重ねるなかで、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、いいなと思うことは自分のものにしようとし、好きじゃないなと感じることとは距離を置き、居心地のいい感じを求めながら生きてきたのだろう。
ひとつずつ、好きの後ろに、嫌いの隣りに、誰かとの時間がある。
何かを食べるたび、いつもそれを思い出すわけじゃないけれど、たまにふと頭の中をよぎったり、考えたりすることがある。そのことがとてもうれしいなと思う。
誰かに愛されたこと、見守られたこと、教えられたこと、違和感を感じたこと、いいなと思えなかったこと、好きだと思えたこと、手放したこと、習得しようとしたこと。
ぜんぶ、誰かとの出会いの中で、私が私の心にたずねながら選んできたことなのだ。
自分にしかわかるはずのない、このよろこびを忘れたくないなと強く思った。
いつから私は、こうやってざる蕎麦を食べるようになったのだろう。
始まりがいつなのかはおぼろげだが、確実に言えることがひとつある。
それは今、私の目の前で蕎麦を啜っているこの人が、私のざる蕎麦の食べ方を変えたのだということだ。
今から10年以上前、初めて一緒に蕎麦屋へ行った。
蕎麦豆腐やおひたし、だし巻き卵など酒の肴を楽しんだ後、〆にざる蕎麦を頼んだ。
私はいつものように、まずはそのままつゆにつけて食べ、その後、大根おろしをちょこんとのせたり、刻みねぎを入れたりと、味に変化をつけた。
麺が半分ほど食べ終わったところで、つゆにわさびを溶き、鼻にピリッとくるのを「くう〜っ」と面白がっていると、こんなことを言われた。
「全部、わさびの味になっちゃうじゃん」
この人の食べ方を観察してみると、麺にちょこちょこわさびをつけて、それをサッとつゆにくぐらせて、口へと運んでいる。
初めて見る食べ方だ。
「その食べ方だと、わさびが均一にならなくて、辛いところと辛くないところとが、まだらになる」と私が言うと「それがいいんでしょ」と言うのだ。
「つゆにわさびの味がつかないし、いろんな味を行ったり来たりできるじゃない」と。
その後数年間は蕎麦屋に行くたびに、この人の食べ方を不思議に眺めていたのだが、いつの間にか私も同じようにざる蕎麦を食べるようになっていた。
この食べ方のいいところは、つゆを蕎麦湯で割って飲むときに、つゆ本来の味も味わえるところだ。
思い返してみると、私の食べ方や味の好みは、母と似ている部分が多い。
それは、そうだと思う。
生まれて初めて口に含んだであろう母乳だって、母の身体から出ているのだから、母の嗜好がほんのり風味として混ざっていたっておかしくないだろうし、離乳食だって母が作っていたのだし、大きくなるまでの日々の食事だってそうだった。
そしてたいていいつも目の前に母がいて、箸の持ち方なんかをいろいろと注意されながら、それでもたのしい食事の時間を過ごしてきた。
母は働いていたので、私はたまに友人の家に預かってもらっていた。
そこで友人家族と一緒に夕飯を食べ、知らない料理と出会ったり、母が作る味との違いに違和感を覚えたりもした。
食事の仕方で怒られたこともあった。
通っていた保育園では焼き魚の食べ方を徹底的に叩き込まれたので、私は今でも魚の骨をきれいに取ることができる。
しかし、こういったことのすべてが幼い頃に学んだことだとは思わないのだ。
例えば、私は食べ終わった後の皿の上が、家族の中でいちばんきれいなのだが、これは大人になってから様々な人と食事をしたり、飲食店でアルバイトをするなかで、自然とできるようになっていったことだ。
私はこうやって少しづつ、いろいろな人と時間を積み重ねるなかで、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、いいなと思うことは自分のものにしようとし、好きじゃないなと感じることとは距離を置き、居心地のいい感じを求めながら生きてきたのだろう。
ひとつずつ、好きの後ろに、嫌いの隣りに、誰かとの時間がある。
何かを食べるたび、いつもそれを思い出すわけじゃないけれど、たまにふと頭の中をよぎったり、考えたりすることがある。そのことがとてもうれしいなと思う。
誰かに愛されたこと、見守られたこと、教えられたこと、違和感を感じたこと、いいなと思えなかったこと、好きだと思えたこと、手放したこと、習得しようとしたこと。
ぜんぶ、誰かとの出会いの中で、私が私の心にたずねながら選んできたことなのだ。
自分にしかわかるはずのない、このよろこびを忘れたくないなと強く思った。
作者プロフィール
前田エマ
1992年、神奈川県生まれ。東京造形大学在学中にウィーン芸術アカデミーへ留学。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティ、キュレーションや勉強会の企画など、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行う。著書に小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)、『アニョハセヨ韓国』(株式会社三栄)、エッセイ集『過去の学生』(ミシマ社)がある。
https://www.instagram.com/emma_maeda
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作者プロフィール
うえはらけいた
1988年、東京都生まれ。コピーライターとして勤務していた広告代理店を2015年に退職。翌年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科に編入し、以降漫画を描き始める。2020年4月に漫画家として独立。主な著作に『ゾワワの神様』(祥伝社)、『コロナが明けたらしたいこと』(アスコム)、『アバウトアヒーロー』など。
https://x.com/ueharakeita
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ビフィズス菌 MCC1274
脳と腸という、一見すると関連がなさそうな2つの臓器。近年、腸内細菌と健康が密接に関連していることが明らかになってきており、腸内細菌を含めた「脳と腸」の機能連関を意味する「脳腸相関」が注目されています。